098: 賭け
ある日。

俺だけフウインダストリーに呼び出された。

自動人形の後始末の件だろうか、とフウの元に行ったが、その用事は。

人体実験だった。

もちろん、承諾するかしないかは俺次第。

内容を聞いて。

俺はしろがねに黙って承諾した。

俺にとっては大きな賭け。

実験台になる価値があった。







ナルミがフウに呼び出されてフウインダストリーに向かってからもう2ヶ月が過ぎようとしている。フウからは特別なミッションでナルミじゃないと駄目なんだと言っていた。その間、私には仲町サーカスに居るようにと。

ゾナハ病は消え去ったけど、自動人形は全て停止した訳ではなく、未だにフランシーヌの影を求めて活動している個体も残っていた。私はあるるかんを繰り、自動人形を殲滅してきたけど、状況によってはあるるかんを繰るのが難しい場所もあった。そんなときは己の体一つで自動人形を停止させることが出来るナルミが活動していた。今回もそういう仕事かと思っていたけど、さすがに2ヶ月は長すぎる。

何度か連絡を取ろうと試みたけど、特殊任務中で連絡が取れないという。いくら特殊任務中でも今までは頻繁にではなくてもそれなりに連絡が取れていた。

何かがオカシイ。胸騒ぎがする。

胸のざわつきを抱えつつ、この不安を吹き飛ばすためにもフウインダストリーに向かうことに決めた。フウは来なくても何も問題は無い、と言っていたけど、ナルミとまったく連絡が取れないこの状況を打開するにはきっかけとなったフウに直接会って状況を確認するのが一番だろうから。





そして私はフウインダストリーでとんでもない事実を知ってしまう。





フウインダストリーに到着してすぐにフウの元に詰め寄る。

「ナルミはどこ?特殊任務って今回はどこにいったの?!」

「おやおや。もう少し待てませんでしたかね。あと1ヶ月くらいの予定でしたが…」

こちらの質問には答えず、仕方ないですねぇ、本当はもう少し後に呼ぶ予定でしたが、とブツブツつぶやきながらついて来い、と手招きをし、車椅子をメイド人形に押させて部屋を出ると新設されたブロックに向かう。

フウの後についていった先には厳重な警戒態勢の目新しいラボ。フウに続いてラボの中に入ると中央あたりに水溶液を湛えたカプセルがあった。その周りには忙しく計器や何かをチェックしている白衣姿の研究員たち。邪魔にならないようにそっとそのカプセルを覗き込むと中にはよく見慣れた顔。



…ナルミだった。



その異様な光景に一気に足から力が抜けてへなへなと床に座り込んでしまった。何が起きたのか。ナルミと連絡が取れないからフウに連絡を取ったときは何も問題はない、任務中だといっていた。任務中のはずのナルミは任務どころか訳のわからないカプセルの中に納まっていた。たくさんの研究員に囲まれて。

「ちょっと!これはどういうことなの?ナルミはどうしたの?!何が起きてるのよ!」

ギッ、とフウを睨みつける。フウは相変わらず飄々として何を考えているのかわからない表情で。ふぅ、とため息をつくと。

「カプセルの中をよく観察してごらん。何か気がつかないかい?」

と、ナルミが入っているカプセルを指差す。気がつく?どういう事なのだろう。大怪我でもしているという事なの?

恐る恐るカプセルに近づき、ナルミの姿を確認してみる。ナルミの体は完全に何かの液に浸され口元はマスクで覆われており、呼吸に合わせてコポコポと気泡が出ている。呼吸をしているということは生きている。更に怪我が無いか視線を移す。そしてあることに気がついた。

「フウ、これは…」

フウは頷くと、鳴海君は何も言わずに協力してくれたよ、と。これは鳴海君じゃなければ出来ない事で自動人形相手ではないけれど特殊任務だろう、とククク、と笑った。





それから私がナルミと話せたのは1ヵ月後。





カプセルの中から水溶液が抜かれ、俺は目覚めた。長かった。体が重い。重力ってこんなにキツかったっけ。

「鳴海君、体の状態はどうだい?」

ラボの中でメディカルチェックを受けていると車椅子に乗ったフウがやってきた。

「ん、いい感じですよ。しばらく体を動かさなかったからちょっと重いですけど。」

左腕をゆっくり動かし、点検する。そして。

「君にお客さんだ。」

その言葉と共に近づいて来た看護師はしろがねだった。

「どうして?」

「どうして?それはこちらのセリフだ。何も言わず2ヶ月も音信不通になれば…」

銀色の瞳には涙がたまっている。今にも零れ落ちそうだ。心配かけないように特殊任務と偽っていたのが逆に心配させる原因になってしまったのか。

「すまん、しろがね。」

そういうとしろがねを抱き寄せた。すっぽりと腕に収まったしろがねはそっと右腕に触れる。

「あたたかいな。血が通っているあたたかさだ…」

右腕に触れた手を胸の方に移動させるとその感触を確かめしろがねはつぶやいた。

「あのベルトはもう必要ないんだな…」

そう、ベルトはもう必要ない。右腕だけじゃない。両脚もだ。





3ヶ月前。フウに呼び出された。人体実験に協力して貰えないだろうか、と。

失った四肢の再生実験なのだが、普通の人間では無理で”しろがね”の治癒力が今の段階では重要なファクターになり、その結果を足がかりに普通の人間にも応用できる技術にしていきたいという内容だった。更にこの話に協力する要因になったのはフウのこのセリフ。

「鳴海君、君の失う前の生身の四肢のデータは幸運にもアイセクトの記録に残っている。寸分たがわぬ状態に出来る予定なのだが。どうだね?」

だった。大切な仲間との絆であるマリオネットの四肢。でも戦いは終わり、戦うための四肢は必要ない。人工筋肉の四肢をつけるくらいならこのままでいい、と思って居たけど、生身の四肢が戻るなら話は別だ。理論上は問題なくても実際にやってみたら何か問題が起こるかもしれない。上手くいかない可能性もあるし、上手くいっても数年後に問題が起こるかも知れない。そういうこと全てひっくるめてもやる価値があると思った。だから俺はこの賭けにのった。

前に左腕を繋げたときにすでに準備を始めていたらしく、呼び出されたラボに出向いたときには俺の失われていた右腕、両脚のパーツが造られつつあった。生体と馴染み最終的に同化する素材を使って造られた骨組みに俺から採取した骨細胞を移植し、その上に同じように俺の筋細胞を移植して…

フウを初めプロジェクトチームの面々が納得の行く四肢が出来上がるのに2ヶ月近くかかり、その間新鮮な細胞や血液を提供した。「命の水」の力もあるのだろう、みんなが想像していた以上の成果があった。問題は左腕のように上手く適合するかどうかだった。
左腕はしろがね化する前だったといえ、正真正銘の自分の腕。つなげるのにはさほど問題はなかった。つながってしまえば回復も早く、リハビリもほとんど必要が無いくらいだった。

いくばくかの不安と期待をこめて右腕と両脚の接合術を受けた。接合術だけでは完全に繋ぐことが出来ないのは既に分かっていたことで最終的に細かな部分は「命の水」の力に頼らざるを得なかった。それを補助する目的で「命の水」を模した溶液が使用された。それがカプセルの中に満たされて完全に四肢がつながるまでの間、浸かることとなった。それがちょうどしろがねがフウインダストリーに来る数日前の話。

予定ではカプセルに入ってから1ヶ月ほどで完全に繋がるだろう、との事でその頃しろがねを呼ぶ事になっていたが、特殊任務と騙していたのが裏目にでて、かえって心配させてしまった。

「すまなかった。100%成功するか判らなかったし、今もどこまでの成功なのか正直分からない。繋がらない可能性もあったから、この賭けの結果が分かるまで秘密にしようと思っていたんだ。」

どうやら俺は初めの賭けには勝ったようだ。無事四肢はつながり、ベルトで支えなくても自由に動かせる。しろがねが言ったとおり、血の通った新しい俺の四肢。

ただ、これから先なんの問題もなく過ごせるかは分からない。何しろ前例が無い。それも含めての人体実験。けれど今までのように戦うための四肢はもう要らない。愛するための四肢があれば、共に歩むのに困らない四肢があれば十分だ。





「ナルミ、分かるか?」

新しい右手を手に取り自分の頬に寄せる。温かくて左手となんら変わりなく感じる。けれどナルミはどんな風に感じているのか。

「ん。しろがねの温かさも、頬の柔らかさも感じる。」

そう言うとナルミの右手は頬を包み、そして髪の毛を掬った。




しろがねの銀糸の感触もちゃんと感じられる。今までの感覚とまったく違う。なんて素晴らしいことだろう。右腕と両脚は二度と生身には戻れないと覚悟していたのに、どうだろう。あきらめていただけに喜びも大きい。これから先、この新しい手脚がどのように変化していくのかは分からない。本来の体と同じように「老い」ていくのだろうか。それすら分からないが、賭けてよかった。




この鳴海の移植が行われてから数年後。

フウインダストリーでは新たな義手・義足の提供が始まる。生体とほとんど変わらない使用感が評判になったということだ。



110915
近年騒がれているISP細胞などありますが。「命の水」が働きかければISP細胞なんて目じゃないんではないかなぁ、と思ったしだいです。
私も最終的に鳴海には生身の体に戻って欲しいと思っていますので、捏造です。
完全生身の鳴海話もこれで書ける、ってもんです。

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