26 / パンドラ |
その夜、あたしはグズるトランクスを抱きかかえ外に出ていた。 少し前とは違う景色。以前のようなネオンの輝きも、ざわめきもない。 ただ静かに、息を潜めている。どうしてこうなってしまったのか… あたしはふと旧友の底なしの笑顔を思った。 あの人、孫くんが生きていれば少しは違ったのだろうか? 今となってはもう解らないけど… 何度も地球を救った英雄は心臓病であっけなくこの世から去ってしまった。 そのあとに起こった数々の悪夢。気が付けば仲間も、最愛の人も失っていた。 今、あたしが前を向いて歩いていけるのは、この子、トランクスが居るから。 そうじゃなかったら今ごろあたしはどうなっていたんだろう…? そうはいっても今も決して気を抜いた生活ができるわけではない。 常に「敵」を意識し、隠遁生活を送っているのだ。 今のあたしじゃ太刀打ちできない「敵」… もしかしたらこの子トランクスが無事育ってくれたら、 孫君の忘れ形見、悟飯君と共に倒せる日がくるかも知れない。 それを実現させるにも「今」をいかに生き抜いていくか。 そんな事を考えながらトランクスをあやしていると、一瞬目の前の風景がぐにゃり、と歪んだ。 何事かと身構えたそのとき目の前に見慣れないマシンが現れ、力尽きたように地面に落ちてきた。 目の前に現れたマシンには随分と擦れてしまっているが見慣れたものがあった。 カプセルコーポマーク。 「なによ、これ…こんなマシン、作ったことも見たこともないわよ…」 注意深く周りを観察する。 記憶にはないけど、自分が作るマシンと同じ「匂い」がする。だとすれば。 「…やっぱり…」 外壁にうまくカモフラージュされた小さなスイッチ。 それを躊躇う事無く押す。するとどうだろう、マシンの一部が音もなく開いた。 中を注意深く覗き込むとあまり広くない空間に人影が一つ。 「誰か居るの?うちの社員?」 …… 「返事くらいしたらどうなのよ!」 …… 「…入るわよ…」 トランクスを抱きなおすと注意深く周りを観察しながら中に入ってみる。 コックピットまで近づいて声を失った。 「あ、あたし?!」 操縦桿を握ったまま気を失ってるらしき人物は「ブルマ」だったのだ。 けど髪には白いものが混じり随分とくたびれた感じがする。 「ねぇ、ちょっとあんた!大丈夫?」 声を掛けてみる。 すると「うっ…」と言う小さなうめき声と共に閉じられていた瞳が開かれた。 そして「うまくいったんだわ…」とあたしの顔を見てつぶやいた。 「うまくいった、って何がよ?」 「タイムマシンよ…理論は知っているでしょう…」 「知ってるわよ!それくらい。でも実用不可能と言われているのに…」 「ふふふ。この天才ブルマさんに出来ないことはないわ。」 「でもね、此の世から消えてしまった者たちをよみがえらせることは、 もう出来ないのよ。」 「だから。理論の証明をしたかったの…」 そしてもう一人の未来からやってきたブルマは語りだした。 今まであたしが居た世界はトランクスも「奴ら」に殺されてしまった。 あの子はまだこれからだったのに、あまりにもあっけなかった。 トランクスまで失ったあたしはどうしていいか解らなくなっていたけど、ふと気が付いたのよ。 一つの可能性を。 心臓病であっけなく旅立ってしまった旧友。 彼が生きていたならきっと違う未来があるに違いないってね。 それから夢中でタイムマシンの発明に取り掛かった。 随分と長い年月がかかったわ。そしてここまで飛ぶのが精一杯。 それでもたどり着けて良かった。 「ここの世界のトランクスはまだ生きている…けれど孫君は居ないのね…」 ぽつりとつぶやいた。 「あんたの居た世界はいったい…」 アタシの言葉に彼女、もう一人のブルマは更に言葉を続けた。 あたしの居た未来はね、孫君もベジータも居なくなって、 悟飯君も幼いトランクスをかばって死んでしまった。 そしてトランクスも結局居なくなってしまったわ… そして残されたのはあたしだけ…どれだけ絶望したか。 ベジータが居なくなってしまったときどれほどアイツが大切だったか気が付いたのよ。 でもあたしにはまだトランクスが居た。だからまだ頑張れた。 けれどトランクスも居なくなってしまったとき、あたしも一緒に消えようと思った。 でもね、シャクじゃない。このままこのブルマさんが終わるなんて。 だから死に物狂いでこのタイムマシンを開発したのよ。 今は完璧じゃなくてもいい。とにかく理論を証明できれば。 過去を変えるのは良くないだろうけどあたしは決めたのよ。 パンドラの箱を開くことを。 あたしには何も見つけられなくても「別のあたし」がきっと道を切り開く。 そのための布石になろう、ってね。 ここは既に孫君とベジータは居なくなってしまっているけど、悟飯君もトランクスもまだ生きている。 あたしがここに来たことによってきっとタイムパラドックスが生じるはず。 ここまで話すともう一人のアタシはふう、と大きな息を吐いた。 「この世界を変えてもあたしの居た世界は変わらない。 けどこの世界はきっと変わる。もっと変えられるはず…」 「もっと…?」 不思議そうにしているアタシに、 「そうよ。あなたたちが更にもう一つの世界を救えばいい。 今度こそ孫君が生きている世界を。」 そこまで話すと彼女はごふっ、と嫌な咳をした。 「ちょっと大丈夫?」 あわてて彼女の身体を抱き起こすと手にぬるり、とした感触。 暗くて良く見えなかったがかなりの出血だった。 慌てて応急処置を施そうとしたがやんわりと押しとどめられた。 「…いいのよ。もう遅いわ…トランクスの顔を見せて頂戴…」 彼女の腕にいつの間にか眠ってしまったトランクスを預ける。 「ふふっ…今抱いたらおばあちゃんと孫かしらね… この世界のあなたはお母さんを悲しませちゃダメよ… あんな思いをするのはあたしだけで十分。」 「… このタイムマシンをベースに開発すれば あたしが開発に費やした時間よりずっと早くいいものが作れるはず… そうすれば孫君が居なくなる前に間に合うはずよ… あたしは運命にここまでしか逆らえなかった。 けれど希望を残した、そう思っている。 だからあんたは負けないで。きっと運命を切り開けるはず… 天才ブルマさん、だもの……」 ぱさり、と腕が力なく落ちる。 「ちょっ…」 すでに彼女は事切れていた。 けれどその表情は驚くほど穏やかでまるで聖母のようだった。 そして月日は流れる。 「じゃこれが孫君の薬…」 小さな薬瓶を手渡す。 「はい母さんも気をつけてください」 いつの間にか頼もしく成長した息子のトランクス。 「たのんだわよ!」 「いっています!!」 息子が無事出発した姿を見届けた後、彼女は空を見上げつぶやいた。 「アタシの世界は守られたわよ…今度はもう一つの世界を変えてみせる。 あんたが運んでくれた希望を決して無駄にはしない。だから… 安心して眠ってね…」 見上げた空は雲ひとつ無くどこまでも澄み渡っていた。 040817 もう一人のブルマの話。 未来ブルマは一人ではなかったんじゃないだろうか。 そんな疑問から産まれた作品です。 |